空マイラーから陸マイラーへ

世界を飛び回ってた空マイラーが陸マイラーとしてデビュー。海外での経験やお得な情報を伝えていきます。

ANAの上級会員であるプレミアムメンバーサービス(ダイヤモンド、プラチナ)の変遷

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今日は他のブロガーさんがあまり書いてないANAのプレミアムメンバーサービスの変遷について合わせて書きたいと思います。

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目次

プレミアムメンバーの制度が無かった時代

1990年の初めごろ、関西在住の私はたまに東京へ出張する位の普通のサラリーマンでした。又、関西の南の方に住んでいるので、まだ関西空港が開港してなかった時代、伊丹空港へ行くのは非常に面倒で新幹線を使って東京往復していました(よく伊丹空港は便利だとテレビ等で言ってますが、大阪の南の方からでは難波や天王寺からバスを利用するしかなく、特に夕方だと渋滞もありあまり便利ではないです)。

その状況が変わったのが1994年の関西空港の開港です。東京への出張が関空を使って飛行機で行くようになり非常に便利になりました(その分日帰りが増えてしんどくなったような気がしましたが)。

会社のみんなが飛行機で出張になってから数年、ある日のこと上司が「ANAからなんか特別なカードが届いたよ」と言って見せてくれたのが今で言うプラチナカード(正確な名前は憶えてません)。「何か空港のラウンジとかで使えるみたい」って言ってました。当時私はそんなカードもあるんだといった感覚しかなかったです。

その頃は飛行機の上級会員の制度は公表されてませんでしたし、航空会社の方でセレクトしてインビテーションを送るといった感じでした。更にマイレージの制度ができたのが1997年ですのでそれまではマイルという概念も無かったということになります。

で、その次の年、ふと自分が前の年に何回飛行機に乗ったかと数えてみると何と97回。これはその特別なカードが貰えるはずと思ってANAに電話してみましたが、オペレーターの人は「○○様は基準には達成してません」とのつれない返事。当時基準は公開されてませんでしたのでわかりませんが、もしかしたら100回だったかもしれません。

プラチナサービス開始

そうこうしているうちに1998年を迎え、上級会員のサービスに劇的な変化がありました。到達の基準がHPなどで明らかに。現在はプレミアムポイントに一本化してますが、最初は国内線50回で到達という基準でした。相変わらず国内線にたくさん乗っていた私は半年とちょっとで基準達成。事前サービスがあったかどうか記憶にないのですが、達成した次の東京出張の時に初めて羽田空港のラウンジに行ってみました。受付の人に説明してみると調べてくれて確かに基準を満たしますねと言われ無事初のラウンジ体験。その頃はまだ第2ターミナルができてないころでしたので現在の第1ターミナルにANAJALのラウンジがひとつづつあったと思いますのでそのうちの一つでした。

初めて行った時の感想は・・・それはそれはほんとうに特別な空間だったと記憶しています(その頃スマホが無かったので写真を撮ってなかったのが残念です)。サービスそのものはビールとかソフトドリンクが飲める位で今と同じと思いますが、何しろラウンジにいる人がほんと少ないですし、いかにもエリートビジネスマンという感じの人だけでした。一番ビジネスマンの出張者が多い夕方の時間(まだ羽田-伊丹便の飛んでいる時間)なのにほんと20人ほどだったと記憶しています。自分がこんなところに入っていいのだろうかとドキドキした記憶があります(笑)。

スターアライアンスへの加盟

プラチナ制度ができて少しして、2000年頃にANAスターアライアンスへ加盟しました。これによりプラチナメンバー(更にプラチナになれば持てるクレジットカードに付帯しているスーパーフライヤーズメンバーも)の人はスターアライアンスのゴールドの資格が自動的に付いてくるようになりました。

飛行機で海外に行く人にとってはほんとありがたい制度です。スターアライアンス便に乗る場合、このゴールドの資格によりANAで言うプラチナとほぼ同等のサービスが受けられることになりました。ビジネスクラス以上のチェックインカウンターの利用(海外の空港だとエコノミーのカウンターは長蛇の列といったことが多い)、ラウンジの利用(乗り継ぎ時間が長いとほんと助かります)、トラブル時の優先対応(欠航になった時等空いているラウンジのカウンター等で優先的に対応を受けれる)、インボラアップグレード等国内でANA便に乗るよりメリットがあります。

更にマイルを使った特典航空券でもANA便だけでは無くてスターアライアンス便も予約できるようになり、ほんとマイルで世界どこへでも行けるようになりました。

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ダイヤモンドサービス開始

最初ANAの最上級会員はプラチナでしたが、2002年更に上のダイヤモンドサービスが開始されました。プラチナサービスが始まり、SFCで継続する人が増えてほんとに沢山飛行機に乗る人のメリットが薄れたせい(又は文句がでた?)だったのでしょう。

www.junchans123.com

このダイヤモンドサービスの紹介は上の記事に纏めましたが、プラチナやSFCより優先に搭乗できたりスイートラウンジができたりと最上級会員への優遇が増えてきました。

しかもダイヤモンドの会員数も昔に比べると劇的に増えたように思います。

獲得基準の変遷

上にも書きましたが、プラチナの到達基準は特に最初の頃はしょっちゅう変わってましあ。国内線50回というのが長く続き、国際線は獲得マイルで別計算だったと思います(つまり両方別の達成基準)。それが国内線の回数orポイントに変わり、更にプレミアムポイントへ一本化。又、数年前まではスターアライアンスの航空会社のポイントのみでOKだったのが、ポイントの半分は自社便でないといけないというように自社便へ搭乗する人を優先するようになりました。

さてこの頃の私は、国内出張ばかりの生活(年1,2回海外出張)。ただ、その前と比較して微妙に回数が減ったのでダイヤモンド(確かその頃は国内線100回搭乗)制度ができたのに達成できませんでした。

2000年後半には海外のお客も担当するようになり欧米出張も頻繁になってました。その頃の到達基準が国内、海外のポイント併用に変わったのでようやくダイヤモンドになれたように思います。

現在の制度に関して

現在はみなさんご存じのようにプレミアムポイントへ一本化。更に半分は自社便でのポイントが必要というようになって落着きました。

既にプラチナを15年以上維持してこの制度の変遷を見ているとANAの上級会員取り込みの戦略が非常によくわかりますし、それが見事に成功しています。また後日書きたいと思いますが、2000年ごろのANAの米国便はほんとガラガラでした(ビジネスの20人分位の席にたった二人とか)。ラウンジの混み方も年々ひどくなってきてますし(そりゃあダイヤの人から文句出るだろうなと思ってたらスイートラウンジなんかもできてます)、羽田の伊丹便の搭乗だとダイヤ、プラチナ、SFCの人だけで半分位いそうですしね。

ちなみに自分は相変わらず国内、海外出張が多かったのですが、2013年からスペインのバルセロナへ海外赴任(このあたりのことはまた書きたいと思います)。2016年に帰任して出張が減ることになり、陸マイラーが面白いということで陸マイラー生活をするようになりました。陸マイラーで獲得できるマイルは海外を飛び回っていた時より多く、ほんと驚くばかりです(大半の人はこの陸マイラーが理解できないですね)。