岡山国際サーキットで行われたGT World Challenge Asia観戦に合わせて、岡山県の城巡りに行ってきました。その②岡山城赤穂城訪問記です。
目次
www.100finecastles.com
岡山城は、豊臣秀吉家臣の宇喜多秀家と息子の秀長が築城し、1597年に完成しました。1600年の関ヶ原の戦いの後は小早川秀秋が入城し、更に池田氏と受け継がれて整備・修築が行われました。天守、櫓は昭和まで残りましたが、太平洋戦争時に焼失。1966年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。外壁は黒塗りの下見板で覆われていて、烏城(うじょう=「う」はカラスの意味)の別名があります。
岡山駅から車で10分くらい(路面電車と徒歩でも行けます)と少し離れています。
近くのコインパーキングに車を停めて向かいました。
立派な石垣です。この上に岡山城最大の櫓である大納戸櫓が建っていました。
城へ登る横の石垣。こちらの石垣は関ヶ原の戦い以前では最も高い石垣だそうです。
最初に見えてきた建物が不明門(あかずのもん)
本段(藩主が暮らす御殿(江戸城でいう大奥)があった)に上がる大型の門です。限られた人しか入れなかったので、ほとんど閉じられていたということでこの名前が付いたそうです。
不明門を通って暫く歩くと天守が見えてきました。黒い城って珍しいです。
天守のみだと400円です。後楽園などとのセット券もありましたが、この後赤穂城に行く予定だったので、天守のみ。城ってほぼ夕方で閉まりますが、こちらは夜の9:30まで開いています。
天守の中は6階建て。資料館となっています。
岡山を開いた宇喜多直家、秀家に関する展示が多かったです
宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで敗れます
関ヶ原の戦いでのキーパーソンは小早川秀秋ですね。岡山城には2年ほど住んでいたそうです(急死し、後継ぎが無かったので小早川家は断絶)。
そして池田輝政も関ヶ原の戦いで活躍し、その子忠継が岡山城主へ
そのあと池田光政が発展させたみたいです。
この後も池田氏が明治維新まで城を受け継いだとのことでした。
中にはその他いろんな資料も展示されていました。
時間が無かったので後楽園には寄らずに赤穂城へ向かいます。
www.100finecastles.com
そういえば岡山県の城巡りと言いながら、考えたら赤穂市は兵庫県ですね(笑)。
1645年に浅野長政が赤穂に入り、築城開始。13年後の1661年に完成しました。江戸時代に入ってから築城が始まった珍しい城です。天守台は造られましたが、天守は無かったそうです。
1701年に松の廊下事件で浅野氏断絶。赤穂藩はこの事件の方が有名ですね。赤穂藩は永井氏が数年間治めましたが、その後森氏が廃藩置県まで治め、明治時代になって廃城となりました。
場所はJR播州赤穂駅から徒歩20分ほどと中心地からは少し離れています。堀、石垣は結構立派でした。
大手門は復元されていました
スタンプはこの大手門の中に設置。ちなみに入城料は必要ありませんでした。
中に入ると立派な天守台が
天守台からの眺め。殆ど建物はありません。ちなみにこのお城は典型的な平城で、全く登る必要はありませんでした。
お城の横に歴史博物館というのがあったので寄ってみました。入館料は200円。
中は赤穂城や有名な塩などの赤穂市の歴史がメインでしたが、
赤穂浪士に関する展示も充実していました
赤穂大石神社
大石神社は、明治33年神社創立。大石内蔵助以下四十七義士を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森家の先祖で本能寺の変で信長と共に亡くなった森蘭丸ら七代の武将を合祀してあるそうです。
普通の神社かなと思ったのですが、
中には義士資料館というのがありました
入ろうと思って行ってみると、夕方だったので残念ながら既に閉館していました
外にはこんな感じで四十七義士の銅像が建っていました。
東横イン播州赤穂駅前宿泊記に続きます。