8月に岡山国際サーキットで行われたGT World Challenge Asia観戦に合わせて、岡山の城巡りに行ってきました。その④備中高松城と鬼ノ城訪問記です。
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レースは週末の土日に行われますが、その前の日の金曜日は、搬入のみの場合もあれば練習走行の場合もあります。今回のレースは金曜日練習走行とのこと。練習走行日って観客が殆どおらず、写真撮影には最適なので朝サーキットへ向かいましたが・・・。
なんとこの日は一般客は入場できないとのこと。それならHPに一言書いておいてよ・・・と思ったのですが、そんなこと言っても仕方ないので、この日は予定外で岡山近郊の城巡りをすることにしました。
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備中守護代の三村氏の家臣であった石川氏が築いた城です。1575年の備中兵乱で、両氏が毛利氏に滅ぼされた後、清水宗治が城主となりました。
1582年に羽柴秀吉が毛利攻めの先方を任され、この備中松山城を攻めましたが、この城の周りは沼地で難攻不落であったのでなかなか攻めることができませんでした。その時羽柴軍の軍師である黒田官兵衛が、近くの川から水を引き込み、城を孤立させるという奇策である、所謂高松城水攻めを提案し、秀吉はわずか二週間ほどで堤防を完成させて水を引き込み、城を水没させました。
毛利氏は城兵を見捨てるわけにはいかず、講和を申し入れてその条件について検討していた矢先、秀吉は本能寺の変で織田信長が命を落としたという急報を先に受け、急遽講和をまとめて京都に引き返し、明智光秀を討ちました。この高松城水攻めと中国大返しが有名ですね。
まずは駐車場(無料)から歩いてすぐのところにある備中高松城址資料館へ。こちらの資料館も入館料は無料でした。最近リニューアルオープンしたそうです。
こじんまりとした資料館です
中はやはり水攻めの戦闘に関する資料が主でした
その後は城跡を散策・・・といっても、元々石垣ではなく土塁だったこともあり、城跡の痕跡は殆どなかったです。
清水宗治の自刃の場所とか首塚とか
水攻めで造った堤防は、本丸の高さより高かったそうです。
有名な城なのに、日本100名城ではなく続の方というのは城跡としてあまり見るところが無いからってことですね。
ちなみに高松城のちょっと手前にこんな大鳥居があります。最上稲荷神社の大鳥居とのこと。写真だけ撮りましたが、この最上稲荷神社って、帰ってから調べると伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷の一つでした。せっかく行ったので寄れば良かったです。
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日本100名城は、続も含めて戦国時代以降のお城が殆どなのですが、こちらの城はそれより遥か昔の城。ただし、日本書紀等には記載が無くて謎の城らしいですが、663年に百済救援に向かった倭国が白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に惨敗し、本土に攻め込まれる危機に瀕したため、天智政権が九州や四国に対外防衛上築いた城のうちの一つという説が有力とのことです。ということは1300年以上昔の城となります。
行くにはすれ違いできない結構細い道(ところどころに待避所がありますが)をかなり登る必要があります。
鬼城山ビジターセンターがあります。着くまでの道と比べて立派な駐車場が整備されていました。
こちらのビジターセンターは入館料無料
日本100名城のスタンプもこちらに置いてありました
こじんまりとした施設でしたが、鬼ノ城についてかなり詳しく展示されていました
鬼ノ城について勉強した後、こちらの登り口から城の方へ向かいます
ちょっとしたハイキングコースといった感じ
ただ、道は舗装されており、歩きやすかったです
10分くらい歩いていると、
何か建物が見えてきました
西門が復元されていました。復元といっても、歴史書などには記載されていない謎の城とのことなので、想像上の門なんでしょうね。
私はこちらの門を見学して戻りましたが、 山頂一帯には城壁が約2.8kmにわたって鉢巻状に取り囲んでいて、歩いていけば色んな遺構を見ることができます。
備中松山城訪問記へ続きます。