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備中松山城訪問記~岡山の城巡りとGT World Challenge Asia観戦記⑤

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8月に岡山国際サーキットで行われたGT World Challenge Asia観戦に合わせて、岡山の城巡りに行ってきました。その⑤備中松山城訪問記です。

目次

現存12天守

日本にあったお城は4-5万と言われていますが、殆どが石垣等が無く土塁でできた山城。なので現在では殆ど何も残っていない城が多いです。

戦国時代以降は石垣が使われているので、現在でも石垣が残っている場合が多いですが、建物は殆ど残っていません。江戸時代の最盛期には3000程度の城が築かれ、数百基の天守が建っていましたが、現在日本に現存する江戸時代の天守はわずか12です。これだけ少なくなった理由の一つは、江戸時代に出された「一国一城令(本城以外の城が廃城となる)」と「武家諸法度(城の新築禁止。修理も許可制となる)」です。更に明治になって出された廃城令により、この時残っていた建物も取り壊されて、残存天守はわずかとなりました。更に第二次世界大戦で焼失された城もあり、結果的に現在の残存天守は12となったとのことです。

ちなみに12の残存天守は、

弘前城青森県
松本城(長野県)
丸岡城福井県
犬山城(愛知県)
彦根城滋賀県
姫路城(兵庫県
松江城島根県
備中松山城岡山県
丸亀城香川県
伊予松山城愛媛県
宇和島城愛媛県
高知城高知県

となります。自分的には今回の備中松山城で6つ目の訪問です。

備中松山城日本100名城巡り35)

www.100finecastles.com

備中松山城は、鎌倉幕府の地頭、秋庭重信が1240年居城を築いたのが最初といわれています。その後城主がころころ変わっていますが、毛利輝元がこの城を前線基地として城の改修を指揮、約一年間赤穂藩の家老大石内蔵助が城番として在城等があり、更に江戸時代も色々な城主が入り、結局明治維新まで続いて廃城となりました。

その後放置されて忘れ去られたために崩壊が進みましたが、1939年に修復、更に2001年からの平成大修理を経て現在の姿となりました。

城は標高430mの臥牛山頂上付近にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。ふもとから歩くのはちょっと大変そうなので、アクセスを調べてみると、

高梁市HPより)

城見橋公園駐車場からふいご峠駐車場までバスで行くのがよさそうです(このバスは土日のみ運行、非運行時はふいご峠駐車場まで自家用車で行けます)。行ったのはお盆の後半の平日でしたが、バスは運行されていました。

城見橋公園駐車場のバス停(ここにはお土産物屋さん等があります)

5分ほどでふいご峠駐車場へ到着。往復500円です。ここからは徒歩で登るのですが、

こんな道を登っていきます

更に登ってそろそろかと思っていたら、

なんとまだ半分だという立札発見。もうかなり疲れています。

更に登ります

ようやく石垣が見えてきました

山城へ来るといつも思うのですが、今回も殆ど車で登って最後歩いただけなのに結構疲れました。昔は当然車とか無いし、人力だけでよくこんな山の上にお城造れたんだと感心してしまいます。

ようやく入口に到着。入城料は500円です。

スタンプもここに置いてありました

こんな感じの立派な天守です

江戸時代からの現存天守はどこも階段が急です(再建天守は、外観は元のお城を再現していますが、中は普通の階段になっている場合が多いです)

構造等の説明が詳しく展示されていました

中は結構広め

天井の梁も立派です

あまり大きな窓は無かったですが、天守最上階からの眺めです

登るのは結構しんどかったですが、すごく良かったです。登る価値は十分あるお城でした。

帰りは下りなので駐車場まで歩いて戻ろうかと思ったのですが、行きと同じようにバスで駐車場に戻りました

東横イン相生新幹線口宿泊とGT World Challenge Asia観戦編へ続きます。